吉田調書、それは福島原発事故で吉田昌郎所長が語った真実が書かれた聴取結果書のことです。
朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手してネットに公開しています。
大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であった吉田所長。
事故収束作業の指揮官であった吉田さんの公式な調書である聴取結果書の内容は報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去されました。
調書も非公開とされ、政府内に隠されたままでした。
今回その吉田調書と呼ばれる聴取結果書を朝日新聞が独自に入手し公開しています。
その調書では今まで世に公開されなかった衝撃の真実が記載されていますので、少し長いですが必ず見て欲しいと思います。
調書はこちらで見ることができます。(※朝日新聞のサイトに無料登録しないと見ることができません)
朝日新聞「吉田調書」
ここでは会員登録していない人や、時間がなくて読めない人向けにどのような真実が書かれていたのかを紹介します。
※このページは膨大な量の吉田調書について重要な点を随時追記していきます。
吉田調書について
吉田調書は、総文字数はおよそ50万字。
A4判で四百数十ページ以上の量です。
吉田所長への聴き取りは福島第一原発から南へ20km行った場所にあるサッカー施設のJ-VILLAGE JFAアカデミーのミーティングルームで行われ、残る2回が吉田所長の仕事場である福島第一原発免震重要棟でおこなわれました。
政府事故調は772人から計1479時間にわたって聴き取りが行われました。
吉田調書はその一環で作成されたもので、対象1人当たりの平均聴取時間は2時間弱ですが、福島原発事故の最高責任者であった吉田所長への聴取時間は28時間にものぼります。
あの瞬間、どう行動し、何を考えていたかまで聴き取り書かれている調書です。
ほかに吉田氏の公式の調書がないことから「貴重な歴史的資料」と呼ばれています。
吉田調書にかかれていた福島原発事故当時の衝撃の真実
吉田調書には震災当時の社長の清水正孝さんのことを「あの人」と呼んだり、菅直人氏や原子力安全委員長の班目春樹氏を「おっさん」と呼んだりして、怒りをぶちまけながら話をする場面もありました。
全編を通して感情を包み隠さず答えており、本音で語っていることが伺えます。
調書に書かれた真実の一覧を下記に随時記載していきます。
福島原発3号機注水に廃炉を避けるため極力淡水を使えという官邸からの指示に従った事実
海水を注水すると、以後使えなくなってしまうのを懸念し、極力淡水で行うように指示があったと書かれています。
淡水は量が確保できず、満足に注水できておりませんでした。
そこで、やっと海水注入許可が出たのですが、東電の武黒一郎元副社長の対応が悪すぎたことなどが書かれています。
12日
12時~15時:東電社長「海水注入了解」
15時 :淡水注入
17時半:一号機水素爆発
18時 :現場で海水注入の準備完了
18時 ;官邸から海水注入の指示
菅「海水注入開始への準備はどれくらいかかるんだ?」
武黒東電フェロー「2~3時間です」
菅「それじゃあ水素爆発のこともあったから許可は出したけど、一応開始ギリギリまで検討しよう」
(ここで再臨界の可能性についての議論)
19時 :現場「海水注入開始」
19時半:武黒「海水注入どうなってる?」
現場吉田「もうやってます」
武黒「お前うるせぇ!官邸がもうグジグジ行ってんだよ!一回止めろ!」
吉田「・・・・・はい」
吉田「現場のみんな。今から聞かなくていい命令言うから耳ふさげ」
現場で海水中注入続行
ちなみにこれでわかった新事実は菅元首相は一度も海水注入を止める命令を出していないという点、武黒一郎が上記のような流れで官邸に合わせようと独断で止めようとしたことです。
当時の武黒一郎と吉田所長とのテレビ会議の様子は報道ステーションでもその内容が公開されました。